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営業インタビュー

転職事情File
白鳥 健(山形営業所 営業課)Map
入社 2000年4月入社
前職 大工の親方に弟子入りして、見習いをしてました。
家族 妻と娘2人の4人家族です。
辞めた理由 いろんな人と接する仕事がしたくて
決めた理由 『若さあふれる力を求む。』にピン!ときて
趣味・特技 バンド活動。家族旅行。
娘さんからヒトコト パパー、がんばってー!
 

※プロフィールは取材時点のものです。
辞めた理由と決めた理由は?(前の仕事は?:大工)

幼い頃に憧れたのは、『ウルトラマンより大工さん』。学校を出て、さっそく親方のもとに弟子入りしました。大工は、弟子入りするとまず“年季”といって5年間の修練を積み、その後さらに1年ほどお世話になったお礼として親方の下で働きます。大工として認められるのに6年はかかる、古いしきたりがたっぷり残った社会です。でも、仕事は楽しかったですね。かんなでうまく削れたときの喜び、上棟時に棟木に上った時の快感。何年経っても名前も呼んでもらえないほど厳しい世界ですが、仕事は大好きでした。

そうして6年が経ったとき、親方から『あとはオマエの好きにしていいぞ!』と道具一式を買ってもらい、見習いから一人前の大工になりました。 その後、私はログハウスをつくってみたくてカナダへ。そこで多くの出逢いがありました。大工時代は”挨拶なし、笑顔なし、会話なし”の人間でしたが、カナダでの経験から、無性に“人と関わる仕事”がしたくなり、大工から営業への転身を決意しました。

カナダから帰国して、さっそく職探し。木造の在来工法を条件に、住宅営業を募集している会社を探していると、一条工務店の求人票に『若さあふれる力を求む。』の文字が。このキャッチコピーにピンときて応募、入社を決めました。

大工から営業への華麗なる転身?(やりがいキーワード:「感謝、感動」)

入社からしばらくはまったく契約がとれませんでした。『人前で笑えない、話せない、挨拶できない』。こんな三拍子そろった私ですから、売れないのもあたりまえといえば、あたりまえです。そんな私の初契約は、有力なライバルメーカーとの関係が固く、周りの誰もが“難しい”と思っていたお客様でした。周りの評価は気にせず、“私なら必ずこのお客様の役に立てる”と確信を持ち、電話・訪問・手紙を半年間続けました。けれどお客様からは毎回、『また来たの』という顔をされ、さすがに『今日、断られたら諦めよう』と思っていた日のこと。奥様が笑顔で『今度来たら土地を見てもらおうと思っていたの』と言われ、涙が出るほど嬉しくなりました。その後も商談を重ね、とうとう初契約をいただきました。28年間生きてきて、何度とない『これだ!』と感じた瞬間です。

一生に一度の大きな買物を、私という人間を信頼して任せてもらえる。何千万というお金をいただいているというのに、その上『白鳥さんに頼んでよかった』と感謝までしてもらえる。すばらしい仕事だと、誇りに思っています。私は、人との関わりを求めて”大工⇒営業”へと転身しましたが、同じ住宅業界とは言えまったく違う世界。やっていけると実感できるまでは幾度となく壁にぶち当たりました。でも今は、自分の決断は正しかったと確信しています。

奥さまの協力が、心強かったそうですね。(勤務地:山形県)
娘が似顔絵を書いてくれました。パパの名前は簡単なので「たけし」と書きます。ママは悔しがります。

『どんな職に就いたとしても、私は不安は感じないし、何でもやりこなせると思ってる。だから、自分の思ったとおりにやればいいよ』。まだ結婚前だった、妻の言葉です。美容師の彼女は、当時金髪ロン毛だった私の髪を営業マン風にカットしてくれて、面接に送り出してくれました。入社後、大工上がりで“笑えない・話せない・挨拶できない”三拍子揃った私につきあって、早朝の展示場で接客の練習相手になってくれました。いま営業ができているのは彼女のおかげです。このたび、一条工務店でマイホームを建てました。彼女の職場となる美容室も併設。不器用な男の恩返しのつもりです。

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