1978~ 彼らが「強い家」を作るに至った理由とは

1978~ 彼らが「強い家」を作るに至った理由とは

人間は自然のうちで最も弱い一本の葦にすぎない。しかし、それは考える葦である。

ないならば、つくればいいじゃないか

1976年、10月5日。この日、中日新聞の朝刊を手に取った、後に一条工務店を立ち上げることになる創業者は、とてつもなく大きな決意を胸に抱いたのでしょう。

「東海に大地震の恐れ」「あす起きても不思議ではない」

この日、紙面に並んでいたのは、あまりにもショッキングな見出したち。そこには、近い将来に東海地方に大地震が発生するという、日本初の本格的な地震予知に関する内容が大きく報じられていたのです。

一条工務店という住宅メーカーが誕生したきっかけは、このセンセーショナルな報道にありました。それまで東海沖地震はそうした取り上げられ方をされたことがなく、当時の仕事柄、住宅に触れる機会が多かった創業者は、記事を読んでこう思ったといいます。
「これまでいろいろな家を見てきたが、そんな巨大地震に耐えうる家が一つでもあっただろうか?」
考えても、考えても、その答えは「ない」。けれど、30代半ばの若者は、現実にただ立ち尽くすだけではありませんでした。

ないならば、巨大地震に耐えうる家をつくればいい。いや、「私」がつくらねばならない。その強い決意が、一条工務店誕生の一つの原動力となったのです。

創業のきっかけになった当時の新聞

創業のきっかけになった当時の新聞

志を共にする仲間と、「もっと、もっと」を追う日々

言わずもがな、家は一人でつくることはできません。
そこでまずはじめたのが、仲間探しでした。声をかけたのは旧友たち。当時、彼らもそれぞれの仕事で脂が乗りだした頃。それでも、「来るべき東海沖地震にも耐えうる、強い家をつくりたい」という思いに賛同し、続々と仲間が集まりました。そして、くだんの報道があった2年後の1978年。予測される震源地域に近い静岡県浜松に誕生したのが、一条工務店だったのです。

そこからは、一心不乱に試行錯誤の日々でした。分析を重ね、なぜ今の家が地震に弱いのか、欠点を導き出し、新しい時代の木造住宅のあり方を自分たちなりに模索しました。

「梁山泊」。中国の水滸伝に登場する、108の個性を持った英雄たちが集い、国を救った要塞を、こう呼びます。この頃から一条は、社員一人ひとりの個性と知恵を結集した、「現代の梁山泊」を追求してきたのです。

ただ、やればやるほど湧いてくる「もっと、もっと」という感情。
「どうすればもっと、激しい揺れにも強くなる?」「どうすればもっと、住む人の不安を取り除ける?」
どれだけ熱意があっても、「もっと」を求めれば求めるほど、眼前に立ちはだかる大きな壁。当時の社内メンバーの力だけでは解決できない課題が、次々に浮かび上がってきたのです。

じゃあ、どうすれば……。
当時のメンバーが出した答えは、極めてシンプルでした。
「分からないことがあるなら、一番詳しい人に聞きに行こう」

創設当時の写真

創設当時の写真

ターニングポイントとなった、ある東大教授との出会い

1984年。彼らが門を叩いたのは、なんと日本屈指の名門・東京大学でした。というのも、彼らが知る“一番詳しい人”というのが、現代木造住宅の「父」とも称される、東大の杉山英男教授だったからです。
とにかく自分たちの「もっと」を実現したい。聞きたいことは山ほどある。そんな胸にたぎる熱情と共に、両手いっぱいに浜松名物「うなぎパイ」を携え、失礼をも顧みずアポイントも無しに教授のもとを訪ねました。

とは言え、当時の一条は単なる地方の小さな住宅メーカー。日本を代表する木質構造学の権威が、取り合ってくれる保証はありません。文字通り、門前払いを食らうかもしれない……そんな不安もよぎりながら、杉山教授を前に、とにかくひたすら思いを伝えました。「もっと地震に強い家をつくりたい」と、熱く、ストレートに。そんな彼らの話に嫌な顔を微塵も見せずに耳を傾け、質問にも一つひとつ丁寧に答えていた杉山教授は、最後にこう言いました。

「じゃあ、ウチに勉強しにいらっしゃい」
杉山教授も、生まれも育ちも静岡。もしかすると、同郷のこの愚直な木造住宅メーカーに何かシンパシーを感じられたのかもしれません。なんと、いきなり研究室を訪ねてきた一条に、研修社員の派遣の提案をしてくださったのです。その後すぐに、二人の社員を研修生として東大に派遣。以降、数々の共同実験や、多くの先生方とのお付き合いが広がっていくことになります。この杉山教授との出会いが、それからの一条の挑戦に希望を与える、大きな、大きな出来事となったのです。

一条ホール

東京大学と一条工務店の交流は、現在進行形で続いています。その象徴と言えるのが、東大で初めて企業名が冠せられた建物である、この「弥生講堂一条ホール」。2000年、一条工務店が長年の感謝の意を込めて寄贈したこのホールは、農学部の設立125周年記念事業として建てられたもの。実は、ホールとしての役割だけでなく、建物自体が木質構造物の経年変化を研究するための実験棟的役割も担っています。100年で、このホールがどのように変化するのかを見守る、東大と一条の壮大なプロジェクトなのです。

一条ホール

“It” PRODUCT

セゾン ロワイヤル モデル

セゾンセゾン

セゾン ロワイヤル モデル

1988年、東京大学の先生方との研究結果を集結した最初の象徴的な存在として誕生。本格的に「地震に強い家」を目指し始めた一条が、初めて高耐久性木造住宅キャンペーンを実施して発売しました。現在も販売を続けているセゾンモデルの原型となった商品です。

  • 1976
    中日新聞に
    地震予知の記事
  • 1978
    一条工務店設立
  • 1984
    東大教授を訪問
  • 2000
    一条ホール完成
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